Music

2019年

8月

31日

森田童子に・・・!

 最近、某動画サイトで、森田童子の「ぼくたちの失敗」という歌の弾き語り配信を聞いた。「♬ストーブ代わりの電熱器♬」というフレーズはいかにも1960~70年代を思い起こさせる。私の幼少期の記憶を紐解くならば、それはそれほど遠いものではない。森田童子そのものの名前は私自身も知ってはいたのだ。テレビやラジオでのアルバムの宣伝が為されていたことも記憶している。ただ、彼女本人がマスコミに露出している記憶はほとんどない。そこで、懐かしむかのように、新たに探索するかのように、森田童子に関してネットで検索してみた。すると、レコード化された曲だけでも30曲以上あった。アルバムは7枚も出している。それらを聞いてみると初めて森田童子という存在の大きさに改めて気づかざるを得なかった。しかも、彼女はプライベートの一切を明かしてはいなかったのだ。わかっているのは生誕日と逝去日のみである。それでも、動画サイト等をみると驚くほどにその情報は多い。ラジオでのライブを録音したもの、出演したラジオ番組を録音したもの、ライブ演奏の様子を録画したものなど、40年もさかのぼるにもかかわらず、その豊富さに驚嘆させられる。まるで最近までどこかでライブ活動をしていたかのようである。それだけ、単なるファンではすまないようなつながりをもった者たちが少なくないということなのだろう。

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2014年

5月

04日

Every Breath You take(見つめていたい/The Police)

 この曲は、Ally Mcbeal(アリーマイラブ)の記事の後半で取り上げていますが、今回はPoliceのStingの歌としてのご紹介です。ロックグループのラブソングというものは意外に、大ヒットすることが少なくありません。激しい演奏の合間に可憐に演奏されるラブソング。そのメリハリが、インパクトをもたらすのかもしれませんね。

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2013年

12月

08日

『家路』(ドヴォルザーク交響曲第9番「新世界から」/第2楽章)

 夏の間、宿敵であったはずの灼熱の太陽は、山々が赤く彩るこの季節になると、小春日和をもたらしてくれる期待の来訪者となります。ましてや、秋晴れを予感させる夕焼けは、明日を明るくするだけではなく、希望という色にさえ替えてくれるかのようです。 そんな夕日を眺めていると、聞こえてくるのが、このドボルザーク作曲の交響曲・第9番「新世界から」の第二楽章ではないでしょうか。「家路」という愛称がつけられているこの曲は、小学校の下校時刻を知らせる曲としてご存知の方も少なくないでしょう。

 


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2013年

3月

03日

Do They Know It's Christmas & We Are The World

   '80年代は、ベトナム戦争も集結し、比較的世界中が落ち着いていた時代と言えるでしょう。  そんな世界は、エチオピアの飢饉による飢餓問題に焦点を合わせました。  その流れはイギリスのBand Aidの成功を成し遂げ、アメリカのLIVE AIDへとつながり、チャリティーブームを巻き起こしていきます。

 

 Band Aidは"Do they know it's Christmas?" (彼らはクリスマスってこと知ってるか?)という曲を、Live Aidは"We are the world"(私たちが世界なんだ)という曲をチャリティー曲として制作しました。前者は今ではあまりなじみのない曲かもしれませんが、後者は今でも有名ですよね。

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2012年

7月

11日

I don't want to spoil the party

 地球全体が、世界戦争の余韻からようやく抜けだした'60年代。新たな文化創造の騎手として登場したものを挙げるとき、The Beatlesを欠くことはできないでしょう。

 

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2012年

7月

09日

99 Luftballons (ロックバルーンは99)/'83

 この歌は西ドイツ(当時のドイツにはベルリンの壁があり、東と西に分かれていました)のロックバンド"NENA"によって演奏されたものです。’83年に発表され、’84年にビルボード誌(アメリカ)で第2位になりました。ドイツのポップスとしては数少ない世界的大ヒットです。日本の「上を向いて歩こう」といったところでしょうか。

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2012年

6月

30日

Telefone (Long Distance Love Affair)Sheena Easton

 私の学生時代には、MTVなど、プロモーションビデオ(PV)の番組が、テレビの深夜枠で結構放送されていました。まだ、インターネットがそれほどの普及には至っていなかったこともあるのでしょう。振り返ると、あのころのテレビが、一番元気だったのかなと思える節もあります。しばらくすると、録画による著作権の問題が発生するためか、ほとんどPVを放送する番組はなくなってしまいました。PV専門のジュークボックスなども見られましたが、あまり定着しなかったようです。結果的にはインターネットに集中していった時代だったのでしょうか。

 

 

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