2019年
1月
06日
日
黒く塗りこめられた木製の一枚扉が開く。その瞬間、カラオケの音響が静寂を破り、その音に押し出されるように二人の男が出てくる。普通に歩くように振舞っているが、足元はおぼつかない。泥酔とは言わないまでもかなり飲んでいるのだろう。
「ありがとうございました」
客を見送りに来たらしい女性が声をかける。髪はボブカットのショート、肩パットの入ったピンクのスーツを無難に着こなしている。スカートはスーツらしからぬ短さだが、不思議と違和感が無く、むしろノーブルな雰囲気を醸し出している。
「んじゃ また来るよ」
二人が乗ったタクシーを見送った後、扉の中に戻る。しばらくして、最後の客が帰っていく。深夜0時半を過ぎた。先ほどまでの大音量のカラオケは鳴りを潜め、静寂がのぞき込む中でグラスを洗う音が響いている。従業員の二人が片づけをして、道子は集計を急いでいた。
2018年
11月
13日
火
それは離婚届を提出しに行った時だった。
私は案内で提出窓口を尋ねてそこに辿(たど)り着いた。窓口に見た顔は、少し老けているように思えたが、すぐに彼女だとわかった。そのいで立ちは紺のスーツで、肩までかからない髪が活発さをあらわしながらも、額の白さが聡明さをも醸(かもし)し出している。スカートではなくスラックスであったこともそれをより強調しているかのようであった。最後に会ってから既に20年は経過している。私の名前も覚えていないだろうし、私もだいぶ変わったはずである。だから、見て気づくことは無いだろうと思いながら、書類を提出する。
「お願いします」
「はい、確認しますので、少々お待ちください」
彼女は書類の離婚届の文字を見て、ほんの一瞬だけ私の顔に目を向けた。目が合ったとはいえないほどの一瞬であった。やはり気づいていないだろうと思った。
「北野さん、それではお預かりいたします」
その瞬間、突然私の中にある衝動が浮かんできた。久しぶりの再会を彼女に知らしめてもいいのではないか、という衝動である。そして、それはそう思い終わる前に既に行動を現していた。
「変わらないね」
私の後ろにも列が何人か並んでいる。そう言ったところで捌(さば)くことに気を取られて、私の問いかけに気付く暇もないだろうと思っていた。
「先輩もね」
しかし、彼女は忙しさに追いつこうと手を動かしながらも、まるで冷静に、普通の会話の声のように応えてきた。気付かれることもないだろうと思いながら仕掛けた問いかけだったが、驚かされたのは私の方だった。彼女は気づいていたのだ。あの頃と全く同じ声だった。
2013年
1月
03日
木
かつて「翻案小説」というカテゴリーがありました。原案を他言語の作品から引用して、自国の作品として新たに構成していくというものです。現代であれば、盗作とも言われかねないものなのですが、情報交流の活発ではなかった時代においては、どれほどよい作品であっても、翻訳という言語学的置き換えだけで、一般大衆の理解が得られない状況が存在したのは事実でしょう。それで、ストーリーをそのままに、物語の舞台を身近なものに置き換えたり、言い回しの表現を自国の慣例的なものに置き換えたり、服飾文化なども自国のものに置き換えたりしたのです。つまり、レースで飾られた高級ドレスを西陣織の振袖に置き換えたり、タキシードを紋付き袴に置き換えたりしたわけです。このように盗作ともいいかねない、タブーともいえる翻訳を縦横無尽に行ったのが翻案小説です。異文化どうしのどうしても越えられない壁を、何とか理解するための取組みということができるのではないでしょうか。
翻案そのものは、異文化吸収を得意とする日本文化ですから、かなり古くから存在していたようです。しかし、翻案小説というとやはり明治以降です。黒岩涙香の「死美人」(La Vieillesse de Monsieur Lecoq 英 Mr. Lecoq's Old Age:「レコックの晩年」)、森鴎外の「山椒大夫」(説経節の「五説教」と呼ばれた演目の中の「さんせう太夫」)などが代表作として挙げられます。え、「お題と違うじゃないか」って全くその通りです。それでは本題に入ることにいたしましょう。
今回のお題、「アルジャーノンに花束を」【"Flowers for Algernon"著:ダニエル・キース(Daniel Keyes), 訳:小尾美佐、早川書房】は、まさに現代の翻案小説といえるしょう。
発達障害の男性が画期的医療技術によって、天才になってしまうというお話なのですが、それなら単なるSFにすぎないのです。作者ダニエル・キースの素晴らしいところは、主人公の「経過報告」という独白からの記述、つまり、一人称のみで物語を貫きとおしたところにあります。彼は文体の変化をもって、主人公の知的変化を見事に表現しました。