駅STATION                    ('81東宝)

 

 '70年代、テレビジョンの家庭内での定着に対して、芸術路線の追求を選択した邦画界でありましたが、やはり、洋画には太刀打ちできないという風評が蔓延していました。そんな中で角川書店が書籍-映画―ビデオというメディアミックス戦略をとることによって、再び映画に力を入れ始めました。原作は当然ながら、 自前の映画雑誌の特集で宣伝し、 映画公開、 後にはシナリオ本の発行、カセットテープであったビデオの販売というように、完璧な商業戦略を展開したのです。特にシナリオは業界向けの雑誌こそ存在しましたが、一般向けの本としては刊行されてはいませんでしたから、新たなメディアの創出ということにもなりました。これ以降、原作のない映画の小説化も目立つようになりました。映画もエンターテイメントに徹しており、また、映画にする時点で原作は生まれ変わるとして、筋書きが変わるのも良しとしました。また、1本の映画で沢山の情報がまとめて流通するため、映画マニアというよりは、1本の映画に固執することが可能になりました。映画界全体は知らなくても、1本の映画を熟知するマニア、映画オタクの登場を促しました。オタクの出現は、角川映画が招いたといえるかもしれませんね。   ビデオテープは生産的限界により、非常に高価で、今のDVDに比べても1ケタ違いました。 そして、映画館の満員御礼は復活しました。昔の映画館は一回の入場料で一日居ることが可能でしたが、入れ替え制が確立したのもこの頃です。

 

 やくざ映画に嫌気がさしていた高倉健が、東映を退社して独立したのも、日本映画の新興と同じころでした。角川映画にも「野性の証明」で参加しています。やくざ映画の主演が多い高倉健でしたが、これ以降、刑事役、軍人役が多くなります。「人が人のことを思いやることが、最も素晴らしいこと」と語っていた彼が、晩年に選択したヒーローは殺伐とした世界ではなく、最も一般的な世界の人間でした。ただし、無口な男という線は崩すことなく、表情や行動で訴える不器用な人間を演じ続けます。時代が饒舌になるにしたがって、それに反比例するかの如くに彼の寡黙さは引き立っていきました。スターとしてプライベートを一切明かさないことも、彼の魅力を温存させていたと言えるのかもしれません。

 

 

 この「駅・ステーション」は非常に地味な映画で、あまり、派手な映画ではないのですが、彼は日本アカデミー最優秀主演男優賞をとります。連続受賞の三回目です。これだけでも彼の神ががりが表れているといえるでしょう。地味な映画ですが、彼の味がふんだんにあふれています。また、この映画の舞台が'60年代から'70年代までを振り返るストーリーとなっており、各時代のセピア色を感じるにもいい映画です。私には、古い骸から脱皮していく映画界を追っているようにも感じられました。

 

 

 健さんの逝去は83才でした。 夭逝といえるほどの年齢ではありません。 現代日本人の平均寿命で亡くなられるというのも非常に一般的です。普通を追い求めた彼の生き方を象徴するような最期だといえるのかもしれません。セリフなしに存在感が出せる大スターとしては最後の人だったのは確かといえるでしょう。

 


心からご冥福を御祈念いたします。


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