100,000年後の安全("Into Eternity"2009デンマーク・フィンランド)

監督のマイケル・マドセンは次のように語っています
監督のマイケル・マドセンは次のように語っています

ここは来てはならない場所だ
通称オンカロ
「隠された場所」という意味だ
オンカロの耐用年数は10万年とされている
その10分の1の1万年すら持ちこたえた建造物はない
だが我々は今の文明が高度だと自負している
もし成功すれば、オンカロは人類史上

最も恒久的な建物となる
遠い未来にこれを見つけた君は
我々の文明をどう思うだろうか

 

フィンランド原子力安全局医療部長のW・パイレは次のように語ります。

 

今から3世代くらい前の約100年ほど前に放射線が発見されました。
その危険性は認識されないまま有効活用する方法が研究されました。
放射線は、
人体の奥深くまで浸透するエネルギーで有害です。
透明で無臭なので、
放射線を人間の五感では感知できません。
しかし、
死をもたらすほど危険です。
放射線は放射性物質から出されるエネルギーで、
それがDNA分子にあたると分子が破壊されます。
全身に大量の放射線を浴びても何も感じません。
でも1時間が過ぎると、吐き気を催したり、吐いたりします。
一見、食あたりのようですが、やがて2週間後に出血や下痢が始まります。
そして数週間後に死ぬこともあります。
放射線は、人体につめ跡を残します。
遺伝子を変えたり、
突然変異させたり、
先天性異常や機能障害を引き起こします。
ですから、放射能で汚染された地域には立ち入らず、
放射線源には触れないでください。

 

 放射性物質の放射能力は無限ではありません。放射線というエネルギーを発しながら、安定した金属へと変わっていきます。物質総数が半分になっていくという性質があり、これを半減期と呼びます。とても理解しがたいのですが、放射性物質の分析数値として確立されている物質特性なのです。

 

 原子炉でウラン燃料1tが燃えると燃え残ったウランの他にプルトニウム10㎏とその他の生成物10㎏が燃えカスのように現れます。燃料そのものはあまり減っていないのですが、この生成物10㎏が核分裂を邪魔し、発電効率を下げるので使用済み燃料となります。これを再処理すればまた燃料として使用できるのですが、それはそれでコストがかかるため、アメリカ合衆国などでは再処理をせずに廃棄物として処理をしています。ちなみにその廃棄物に含まれるウランは半減期が数億年、プルトニュウムでも数万年です。そして、廃炉となった原子炉そのものも長年の中性子吸収の結果、高レベルの放射性物質に変貌しています。これらの核廃棄物を地球の生態系に影響を及ぼさないようにするために、最低でも10万年の密閉封印管理が必要と言われているわけです。

 

 

 10万年という月日はあまりにも長過ぎて、人類がどのようになっているのかでさえわかりませんし、続いていたとしても今の文明を継続しているとは限りません。未来の人類が穴を掘ってそこにたどり着けばすべてが無駄になってしまいます。エジプトのピラミッドはたかだか6千年程の歴史しか重ねていませんが、現代でもその用途は推測の域を離れません。いわんや10万年です。今の人類からすれば、まだマンモスを追いかけていた時代までさかのぼることになります。その時人類は知性を保持しているかどうかも不明です。この最大最高ともいえる処分場でさえ、未来の安心を保証することはできないのです。
 
 しかしながら、このオンカロにおいては10万年という時間を目標ににしていますから、そこまで考えての計画になっていることに救いがあります。低い天災想定によって大事故としてしまった福島第一よりもはるかに現実的です。オンカロの処理は、現在においてはさまざまな要因から確実に安心できるとはいえないのですが、最も前向きな方法であることは疑うべきもありません。人類が、最初からこの観点を有していたのなら、核開発という無駄な時間は費やすことはなかったのではないかと思います。

 

 ADSR(加速器駆動未臨界)炉によって、半減期を短縮することが研究されていますが、数十万トンという廃棄物の量を考えると現実的ではありません。CO₂温暖化問題に対して、CO₂を還元分解し酸素の生産をするのよりも、はるかに非現実なコストがかかることが予想されます。臨界稼働する原子炉の中がそのままADSR炉として機能し、使用済み核燃料が短縮半減期廃棄物と変わるのならば、つまらない犠牲を出す必然が減るのかもしれませんが、お金がかかることに変わりはありません。何より核燃料も有限な採掘物であるのですから、そこまでコストをかける必然性が理解できません。気に入ったおもちゃを手放したくない子供のように、既成の技術にしがみつく構図が浮かび上がってくるように思えるのは私だけではないはずです。

 

 歴史は元に戻せません。核開発と実用化の中での犠牲は取り戻せないのです。しかし、エネルギー問題だけに焦点を向け、その犠牲を無視することに未来はありません。我々人類はお互いの競争意識をもっと客観的に見つめる必要があるでしょう。繁栄を維持するために多少の犠牲はやむを得ないというような意識が、我々そのものの根幹を揺るがす可能性を持っているのだということを認識しするべきではないでしょうか。つまらない生存競争を駆使する世界観から脱却し、もう一つ大人になることが今の人類に問われているように思えてなりません。

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