「日本核武装論」にもの申す(4)


 日本列島が侵攻される動機として、物的資源獲得は在り得ない。また、何らかの政治的衝突があったとしても、食糧にしてもエネルギーにしても自給率の低いこの国に対しては補給路を分断するだけで十分な兵糧攻めが成立する。さりとて、核兵器を持ったにしてもそれほどの効果がないことは北朝鮮の有様を見るならば明らかなのではないだろうか。軍隊を政治の駆け引きとして使うのではなく、きちんとした国際政治を展開できる組織を持つならば、それは必要ないのではないだろうか。求められているのは、明らかにそのような政治的質の向上であり、その不安定さを払拭するための軍隊ではない。某軍事大国にしても、軍隊を国内の反政府感情の払拭のために戦争を起こしているような感の無きにしも非ずであり、しかも、そのような選択がより一層経済的沈滞を招いている。叡智の不足を暴力で補うことはできない。第2次大戦での日本とドイツにおける多大なる犠牲を伴った無条件降伏とは、本来政治の手段であったはずの戦争が目的として居座ったという結果がもたらしたものといえるのではないだろうか。現在ではそういった軍国主義を回避するために文民統制がとられてはいるが、政治のすそ野たる一般国民の政治的意識の希薄化が民主主義そのものを有名無実化する可能性さえ存在する。


 そこで核兵器を持てば、外交政治の弱さを補って余りあるという声が立ち始める。核抑止論に基づいて存在する核兵器は明らかに平和利用だという詭弁さえ存在している。政治の目的としての戦争行為があるのに、その目的のあいまいなものに高価なそして、危険なおもちゃを与えることは明らかに戦前の日本を憧憬することになるのではないだろうか。占領国につくられた国だから、一度振り出しに戻さなくてはならないという理屈は甚だ拙劣である。質の高い政治を作り出すのは軍隊ではなく、政治を培う土壌があるか否かであろう。必要なのは政治離れを食い止め、健全な民主主義の再構築こそが問われているのだ。そのためにも富裕層以外のサバイバルな現実を改善し、民主主義の一票の担い手としての自覚を促進、浸透させることが肝要なのである。そこで質をともなった政治的すそ野の質的安定と向上こそが問われているのである。


 また、原発問題をあいまいにしている限り、核の政治利用などもっての他である。その安全管理ができない現在、やみくもに兵器の質を上げたところで、元の木阿弥である。技術大国としての再構築として考えるならば、正確無比の迎撃ミサイルの開発などの方が明らかに日本的なのではないだろうか。

 

                         (了)

 

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