「日本核武装論」にもの申す(2)

「日本核武装論」にもの申す(1)から続きます

 それではそもそも戦争とはなんであろうか。

 

 「戦争論」の著者、カール・フォン・クラウゼヴィッツ(Carl von Claußwitz)は次のように記している。

 

「戦争とは、敵を強制してわれわれの意志を遂行させるために用いられる暴力行為である。」(徳間書店刊「戦争論」p18 第一篇戦争の性質について、第一章戦争とは何か 二、定義)

 

「人間相互間の闘争は、二つの異なった要素から成立している。一つは、敵対的感情であり、一つは敵対的意図である。~中略~戦争が暴力行為である以上、それが感情と結びついているのは、当然である。~中略~戦争は暴力行為であり、その行使にはいかなる限界もない。かくして一方の暴力は他方の暴力をよびおこし、そこから生ずる相互作用は、理論上その極限に達するまでやむことはない。」(同書 p19~ 三、暴力の極限的行使)

 

 第二次大戦を振り返ってみると、ヨーロッパ戦線にしても、太平洋戦線にしても類似した現象がみられる。政治的経済的劣勢を覆すために宣戦布告した三国同盟は、上記のごとく暴力としての戦争を極限的に行使するために、感情的煽動をフル活用した。

 

 ドイツにおいてはそれが顕著である。民族主義的な優生論によって、他者に対する人権そのものの否定をし、それによって、感情的暴力を最大限に鼓舞し、それが名誉であるかのように煽動したのである。よって、戦況の劣勢が明確になり、ベルリン陥落が間近になっても、兵員を裂いてユダヤ人の虐殺は継続されていた。言い換えれば、感情的暴力性の維持のために、日常的殺戮行為が必要とされていたといえるだろう。その相互作用により、ナチスドイツは、敵国にも同様の感情的暴力性を有しているとし、ベルリン陥落の直前には玉砕覚悟の戦闘が繰り広げられた。ヒットラーの自決は有名だが、その煽動の主役ともいえる宣伝相であったゲッペルスも自らの6人の子供を毒殺し、夫婦で自決した。

 

 日本においては、民族差別による虐殺行為はドイツほど明らかではない。しかし、五族協和を謳(うた)いながらも、けっして、民族を超えた民主主義は存在しなかった。敗戦間際における唯一の本土決戦ともいえる沖縄戦においては、「捕虜になったらひどい目に遭う」という風説の流布により、多くの一般人が投身自殺をした。いまだに「南京大虐殺」の有無が話題にされるが、そんなことよりも、この集団自殺の原因となった風説の存在は、明らかに日本軍が感情的暴力性を最大限に煽動、活用するために、残虐行為を行ってきた証といえるのではないだろうか。

 

 連合軍側に敵対的感情が皆無であったとする確証はない。しかし、明らかに敵対的意図を中軸とした、政治的判断が存在したことは明らかであろう。東西冷戦の兆しが明らかなために、短絡的に感情的暴力性の発露を避けたということも言えるのかもしれないが、戦後処理の数々は非常に政治的であり、暴力的ではなかったといえるだろう。占領政策は、最低でも「平和」という言葉とそれほどの矛盾はないといえるではないか。

 

ここで再びクラウゼヴィッツを引用したい。

 

 「要するに、戦争とは単に政治行動であるのみならず、まったく政治の道具であり、政治的諸関係の継続であり、他の手段をもってする政治の実行である。戦争に固有のものとしては、その手段の特性に由来するもの以外にない。政治の方向及び意図をこれらの手段と矛盾させないようにしようというのは、一般に兵学の要求しうる権利であり、個々の場合に将軍超休しうる権利である。そしてこの要求は決して無視していいものではない。とはいえ、たとえ個々の場合、こうした要求が政治的意図に及ぼす反作用がどんなに強かろうと、この反作用は、常に政治的意図の修正の範囲外に出るものではない。というのは、政治的意図は目的であって、戦争は手段であり、そしていかなる場合でも、手段は目的を離れて考えることはできないからである。」(同篇、同章、p43~ 二四 戦争は他の手段をもってする政治の継続にほかならない)

 

 この観点からすると、ドイツや日本の終戦間際の玉砕を問わない戦闘は政治の伴わないものであったことになる。戦争状態の継続を望んだドイツと日本は、明らかに戦争という手段のみが独り歩きした状態であったということができるだろう。言い換えるならば、きちんとした政治的バックアップなしには、軍隊を持つこと自体が不毛だという事実が明らかになるのではないだろうか。

                            続く

 

参考文献;「戦争論」クラウゼヴィツ著、

                                   淡 徳次郎訳 

                 徳間書店刊 ISDN4-19-242213-1

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