「日本核武装論」にもの申す(1)

 海底資源の発見を発端とした領海問題によって、軍隊再興の声がささやかれている。そして、そんな風潮にまねかれるかのように、日本の核武装論が浮上し始めた。数回に分け、核武装について考察してみたい。


 東日本大震災以降に明るみになった福島第一原子力発電所の杜撰(ずさん)な核エネルギー管理は、それまでの原発神話を明らかに崩壊させた。そして、核エネルギーに関する危機感を動機として、原発、放射能に関する知識は、かなり一般的になったといえるだろう。しかしながら、原子力発電所の定着率の高さ、復興に要する途方もなく長い時間、そして、何よりも人類が放射能に対してあまりにも無力であった現実、それらすべてが絶望的な事実として、人々に認識される中で、原発問題は明らかに現実逃避的性格をおびつつある。原発維持派と反原発派双方のややもすると煽動的ともいえるデフォルメされた論壇は、人々の正しい判断を導き出すどころか、混乱をもたらし、無関心の芽を助長させたことは否定できない。未来についてのきちんとした討論は、政治的な論拠を明らかにせずには行えないような辛辣なものであるべきだろう。当然ながら、賛成派と反対派双方の現状認識は、共有されるべきものであり、そうでなければ、討論は成立しないし、国民に対しても選択肢を提供するものにはならないだろう。それらの政治的役割が回避されている中で、人々の関心は明らかに政治離れを選択するに至った。政治的冷徹を喪失した社会風潮は、領土問題をはじめとする政治的起点を感情的判断に埋没させる。まるで、プロレス観戦のように政治が思惟されていく。かかる中で、軍隊の再興がささやかれ始めた。さらにはスペースオペラを舞台にしたゲームでのアイテムのように、核武装論が嘯(うそぶ)かれている。

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