外事警察   (2009. NHK 全6回、映画化もされました)

 ある駐車場で車の接触事故が起こります。

 

 ぶつけられた被害者は火災報知機会社の経営者・谷村で、ぶつけた車の持ち主は某国の外交官・ラモン・バルガスでした。

 

 その双方をひっそりとまるで影のように見つめ続けている一団がいます。警視庁公安部・外事4課です。彼らの調査は、谷村の会社が、爆弾探知機を開発していたこと、犠牲者を出した火災事故で探知機の性能が疑われ、経営不振に陥っていたことを突きとめます。さらに、さらに外交官・ラモンの尾行によって、彼がサッカーシューズを購入したこと、また谷村の家族には小学生の子供がいて、サッカークラブに入っていることが明らかになります。

 

 要するに、ラモンの起こした事故は意図的に画策されたもので、綿密な調査の上で用意周到に準備されたものだったということです。そして、日本でテロ組織撲滅の国際会議が行われるという情報と、その会場で用いられる爆弾探知機が谷村の会社のものと同形式であるという情報が加われば、おのずとテロリストの破壊工作が導き出されてきます。

 

 案の定、ラモンは探知機の非正規での購入を、谷村の会社の負債額と等しい額で持ちかけます。つまりは爆弾探知機の性能を取得し、解析するならば爆弾の持ち込みが可能になるからです。しかし、谷村は法的に輸出規制のかかっているからと断ります。

 

 返済の期限はせまり、追い詰められた谷村は一度は自殺を考えますが、開き直るかのように売却を決心します。

 

 全てを内偵しつくした外事警察は、金品の授受の現場で谷村を現行犯逮捕します。一緒にいた外交官ラモンは外交特権により法的拘束はできませんが、身元確認を要するとして任意同行させます。外事警察にとってはこれが最大の目的だったわけです。裏捜査を指揮していた外事警察主任・住本は、「この事件を公表する」と話しかけます。事件の公表はラモンの工作が失敗に終わったことを明らかにすることになります。当然テロリストによって、ラモン自身もその家族も危険な立場に立たされるわけです。それをほのめかした上で、住本は取引を持ちかけます、「守ってやるよ、情報をくれれば」と。釈放されたラモンは苦悩の末、協力を決意します。しかし、住本らと接触する直前にラモンは何者かに暗殺されます。それは、彼らが目前にいてもわからないほどに鮮やかな手口でした。第1話の流れはこんなところです。

 

 

 とにかく、彼らは社会という森の中で、明らかに戦争をしています。しかも平和という標識をすり抜けながら、情報という弾丸で撃ち合いをしているといったところでしょうか。時には情報というものが人間でもあり得るために、人が亡くなることもタブーではありません。テロリストが手段を択(えら)ばないのは、ある意味当たり前なんでしょうが、ここでは捜査官も同様です。林の中の撃ち合いは、木々でさえも武器にしなくてはなりません。つまり、平和の一端を担う木々の一部を、時には弾除けにし、時には相手を探る鏡にさえするのです。たとえば、テロリストは外交官という特権者を巻き込んで工作員に仕立て上げますし、外事課捜査官は一般人を巻き込んで、協力者と呼んで裏捜査を実行させます。秘密裏に動くにはそのほうが都合がいいというところもあるのでしょう。失敗しても肩書がないため真実をもみ消すことが可能だからです。手口としては双方変わりがないといっても過言ではありません。異なっているのは、平和という森林で、山火事を起こそうとしているのか、起こすまいとしているのか、その目的の違いだけです。


 彼らが一般人を巻き込んでいくやり方は非常に巧妙です。単に脅すとか買収するというような単純なことではありません。巻き込む対象者を知り尽くしたうえでその深層に入り込んでいきます。恐怖や欲望などよりも深層にある、その人間の根本に憑りついていきます。交通事故で植物人間になったの夫を介護する妻に対し、その交通事故の原因が妻の浮気だったことを暴露し、美談の深層にある贖罪の思いを浮き彫りにします。そして、動揺する対象者に対しては、様々に弱点を攻め同調を余儀なくさせます。外事4課の主任・住本は語ります、「説得には全人格を持って当たれ」そして、「人を動かすには、その人の怒りをコントロールすることだ」と。しかしながら、彼自身も虚と実のはざまで葛藤を背負い続けています。そこにテロリストの側とは大きく異なる真実があるということも言えるのかもしれません。

 

 


 そんな影の存在が具体的に示された後、物語は核心のストーリーに突入していきます。テロリストにも裏があり、公安内部にもさまざまな裏があります。いうなればどちらも政治の世界ということなのでしょう。裏の裏は普通は表になりますが、ここではそうはなりません。どこに真実があるのかは、その視点をミクロからマクロまで広げる必要があるようです。核心はとんでもないところに潜んでいます。そこでの動機はあまりにも単純で簡単すぎるものであったりするのですが・・・・・・。


 細かな事柄を見落とすと、ストーリーさえ見失います。登場人物と同等とまでは言いませんが、緊張感を持続させていなくてはいけません。そこにサスペンスとしての醍醐味があるようですが、この物語は勧善懲悪というものではないので、視聴者である私たちの視点も自ら保持しないと、何を見ているのかを見失ってしまうような気がします。どちらが正しいというよりはどこに向っているのかを、自らの立場からきちんと見極めなくてはなりません。そういった意味では見ている私たちも、巻き込まれた協力者のように、視聴者としての使命を課されているのかもしれませんね。


 こういった諜報戦は、存在しているのかもしれませんし、そうではないのかもしれません。しかし、特定秘密保護法はこれらの戦いを有利にするものではないでしょう。そんなものがあろうがなかろうが、盾にする木々に困ることはありませんし、協力者は生まれ続けるでしょう。むしろ、そんな小競り合いを覆い隠し、林の中での白兵戦をやり易くするだけのものです。見えてしまうものを隠すというよりは、見えないものをなかったことのようにするための法律ではないかと思えてなりません。
 
 言い換えるなら、

 

 山火事が起きても
 無かったことにするだけ

 

 そんな気がするのです。

 

         (全6話、動画は映画版のプロモーションです)

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