情勢報道に惑わされず、有権者としての選択を!

 ツイッターでこんな書き込みがありました。

 

「マスコミによる参院選序盤情勢。自民70議席うかがい...情勢を呼んだ有権者はどうするだろう?どうせ結果が決まっているなら投票しても同じと棄権?そして低投票率を有権者に転嫁。」

 

そして、これにつづいてツイットを受けて

 

「ドイツはこういう発表は選挙期間中は控えるので、いつも夫(ドイツ人)は不思議がります。」

 

 確かに、選挙前の報道が有権者の投票に影響を及ぼすことは、どのようなケースであっても、望ましいことではないでしょう。

 

 マスコミの選挙情勢の把握は恐ろしいほどに正確で、選挙の開票速報では開票率0%で当選確実が出るほどです。そんなマスコミが選挙結果を予想するような発言をすれば、ほとんどの人が影響されることは明らかで、自分の持つ1票がその情勢を変えようがないと思った人が多ければ、投票率は大きく下降するでしょうし、そうではないと考えた人が多ければ、投票率は大きく上がるでしょう。それゆえに情勢報道は慎重にやるべきことではあるのです。とりわけ投票日前日の情勢報道は投票の動機に大きく働きかける可能性があるため、行うべきではないでしょう。

 

 そして、不偏不党を語るマスコミが、選択の衝動を引き起こすような報道を行い、選挙結果をわずかでも誘導してしまうなら、それは公正な選挙とはいえないことになってしまいます。そして、それだけでも、普段は当たり前のように語られている客観報道の原則は消滅してしまうのです。

 

 ちょっと視点を変えてみましょう。落選候補に投じられた1票(以下「落選票」と呼びます)は全く意味のないものなのでしょうか。

 

 確かに落選票は選挙の勝敗という視点からのみで見るのならば、全く意味のないもので、無効票と同じといえるかもしれません。

 

 しかし、人間の歴史として考えるならば、落選票と無効票は全く違ったものになります。無効票はあきらに無言ですが、落選票は支持の表明なのです。落選者の政治方針が支持されたことを証明するものになるのです。そこから次の選挙の闘いの始まりとなるのでしょう。その時の得票数は多ければ多いほど次の選挙のへの動機は強くなるでしょう。まして、次点ともなれば「次回こそは当選へ」と勢いだつことは必至です。私たちの1票は無記名ではありますが、確実な政策への支持として確実に反映されていく可能性があるのです。

 

 私たち有権者は、選挙が勝つか負けるかと、まるで野球のゲーム観戦に望むかのように選挙を傍観してはいけません。その候補が当選するか否かではなく、自らが思い描く未来を反映する政治方針を持つか否かで、私たちは候補者を選ばなくてはなりません。その時の選挙でその候補が勝つか負けるかではなく、私たちの望む未来へ向け、その候補が成長していくことへの支持として、投票すべきなのではないでしょうか。たとえ無記名であっても、投じられた1票は紛れもなく支持の表明となるのはずなのです。いまは、既成政党の巨大さには当然かなわないかもしれません。しかし、無記名であっても確実な支持を背景に、新たな政治が生まれないとは誰もが言い切れないのです。

 

 だから、私たちはマスコミの選挙情勢報道に惑わされてはなりません。自らの未来と政治というものをかけ離れたものとして捉えるのではなく、私たちも有権者の立場から、自らの政治というものを積み上げていかなくてはならないのではないでしょうか。それが、どんなに拙劣であっても構わないと思います。私たちも投票という責任の上に、自らを1人の末端政治家として成長させていくことが問われているのではないでしょうか。

                                                                                               

 


 

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