カストラートの栄光と闇 2 「ファリネッリ」

 さて、「カストラート」と名付けられたファリネッリの物語、みなさんはもうご覧になられたでしょうか。

 

 ヨーロッパ文明の中で古き伝統をもつ牧羊文化に於いて、家畜の繁殖と放牧を円滑に運営するために去勢というものは頻繁に行われておりました。それゆえに去勢することが、生殖を不能にすることがあっても、生命を揺るがすものではないことが理解されていたのでしょう。また、多くの民族を擁する大陸文化は、古代より敗戦民族の遺恨の抹消のために、血統を断つという方法が取られてきました。その具体的なやり方は睾丸の切除であり、その去勢がどのような医学的予後をもたらすのかは、決して学術的研鑽としてではなかったにしても、経験的に知識化されていたことなのでしょう。医学としても、ヘルニア(脱腸)の治療として、去勢が目的ではなくて、切り取ることはあったようです。

 

 そして、最初にそこに手を付けたのはカソリック教会でした。マルチン・ルターやジャン・カルビンによる「キリスト教の神髄は聖書にある」という宗教改革が進められる中で、独壇場からの降板を余儀なくされたカソリック教会は教会儀礼の芸術的向上による人気回復と民衆の理解を獲得しようとしました。教会の伝統と儀礼を否定する改革派に対し、ミサなどの教会儀礼演出の崇高さによって、カソリック教会の理解を獲得しようと試みたのです。そのためにカストラートの声に白羽の矢が立ったといえるのでしょう。女性の教会施設内での声を禁ずるカソリック教会で、混声合唱を成立させるには仕方のないことだったのでしょう。また、人気取りの性格がより求められた讃美歌が簡単なメロディーに収まるはずもありません。当然ながら、ムジコ(音楽技術者)としてのカストラートが必要とされるわけです。

 

 そして、その繁栄にはもう一つの背景が存在していました。オスマン・トルコ帝国によって地中海の制海権を奪われ、海上交易による権益を失ったイタリア諸国の貴族らはその経済的負担を農業に頼るよりありませんでした。当然、息詰まるのは明らかです。年貢が増やされ、農民も疲弊します。

 

 その時、まるで救世主のように現れたのが、「オペラ」でした。それまでの大道芸の延長上にある見世物ではなく、芸術性の高いエンターテイメントとして、オペラは成長していきます。

 

 教会にしても高い音楽教育を受けたムジコの存在は前述の理由により、歓迎されるものであったため、その費用を担うためにも興行的成功は望まれました。そして、疲弊した農民は口減らしのために、子供をカストラートにせざるを得ません。つまり、オペラというのは、教会公認でカストラートを育成し、そのパトロンたる貴族がヨーロッパツアーを開催して成功していったということなのです。


 貴族として見れば、濡れ手に粟の大騒ぎだったでしょう。そして、この時の興行形態がこの後の国際ツアーの基礎となっていきます。交通手段もそれほど整ってはいない時代です。移動は簡単なことではなかったでしょう。だから、興業の成功は必然でした。その成功のためにあらゆる手段が講じられたことでしょう。マスコミは現在ほど確立されたものではなかったでしょうが、集客の手段としては活用されたはずです。誇大広告なんてなんのそのというところだったのでしょうね。

 

 だから、前評判に至らない歌手は不評となり、その人格までもが否定されるに至ったでしょう。しかし、そんな誇大広告でさえも上回る公演を行ったとしたら、その歌手は大反響を巻き起こし、大スターとして、神格化されていくことでしょう! しかし、そんな歌手はそういるものではありません。

 

 でもいたんですね。

 

 そうです、

 

 それが「ファリネッリ」ことカルロ・ブトスキであったのです。

 


 残された記録において、彼を非難するものは一つとして無かったそうです。後にフランス革命の論壇となった学者らから、囂々(ごうごう)と非難を浴びるカストラートですが、そんな彼らでさえもファリネッリのことは絶賛しました。それだけ彼の存在は別格であったといえるのでしょう。

 

 「クヴァンツは、1726年、21才の頃のファリネッリの声と歌唱について、以下のように述べている。
 『ファリネッリは良く通り、豊かで厚みのある、明るく均質な声を持っていた。その声域は、当時 a からd³まで広がっていた。その数年後には、高音を失うことなく、もう少し低音域が広がった。[そのために]多くのオペラで、彼のためには、あるアリアがコントラルト(アルト)の音域で、そして、残りのアリアがソプラノの音域で書かれるほどであった。彼の音程は正確で、そのトリルは美しく、その旨は息を保つとき並外れて強かった。さらに、その喉は非常に滑らかで、彼はとても離れた音程を速く、楽々と、そして正確に発していた。細分化されたパッセージも、他の全ての走句と同様に、彼には何の苦労もなかった。・・』」中巻寛子著:『カストラートの実像(平成8年度・東京芸術大学博士論文)』p97

 

 つまり、ファリネッリは人気に溺れることなく、自らの技術の向上を怠らず、あきらかに実現していたということなんですね。そして、多くのムジコの最終目的とするお抱え楽師として迎えられていきます。それも、そこいらの貴族ではなく、スペイン国王です。彼は、彼の絶頂期に引退したのです。これも伝説となった理由のひとつなんでしょうね。お抱えになった後も、公演は可能だったでしょうが、彼は声の浪費を避けるために行いませんでした。スペイン国王は重度のうつ病であったようですが、彼の唄を聞くことによって、活発さを取り戻していったそうです。国王はファリネッリを信頼し、国政の助言さえ受けていたようです(まるで宰相)。


「ファリネッリの善良さと私心の無さに、当時の事情を伝える者は口を揃えている。数あるエピソードのひとつに、その謙虚で飾りっ気のない人柄をうまく伝えているものがある。
 『ある日、しがない洋服屋が彼のところに出来上がったばかりの服を届けにやってきた。当代きっての大歌手の仕事をしたことを知ってびっくりした職人は代金の支払いを拒み、ひとつだけ願いがあると申し出た。それは国王一家が独占しているすばらしい歌声を一度聴かせてほしいというものだった。若者の頑固さに負けたファリネッリは、彼だけのために絶妙の歌声をたっぷり聞かせてやった。歌い終わった彼は、今度は君の方がわたしの頼みを聞く番だといって、請求金額の二倍以上たっぷり入った財布を無理やり受け取らせたのであった。』
 ファリネッリの清廉さは日に日に伝説化していった。日常的に国王一家と私生活をともにしている彼を「買収」しようとした例は数限りなかった。ルイ15世も情報を収集せんと、大使を通して相当な金額を提供すると申し出たのだが、失敗してしまった。・・・・・ファリネッリはそれほどに名誉を軽蔑していたし、それに金が絡むとなれば尚更(なおさら)であった。」(パトリック・バルビエ著、「カストラートの歴史」p200)

 

 まあ、彼の評判はゆるぎないものであったといえるのでしょうね。スペインに追いかけてきた兄・リカルド・ブロスキも映画では軍人となるといって旅立っていきますが、現実にはスペインにとどまっていました。案外、仲のいい兄弟でいたのではないでしょうか。

 

 

 そして、時代はフランス革命を迎えます。これを契機に貴族の時代は終わりを告げます。必然的に貴族をパトロンとしていたカストラートも終わりの時代を迎えました。発端となった教会にもそんな力はありません。この時代にもしレコード盤が存在していたら、資本主義も彼らのパトロンになったのかもしれませんね。それは無いもの強請(ねだ)りといえるでしょう。

 

 けれども、もし、そうならば、ファリネッリの声を聴くこともできたんですね~。

 

 

参考文献:『カストラートの実像』中巻寛子著・東京芸術大学博士論文
             ・国会図書館資料(ネット閲覧可能です!)
     『カストラートの歴史』パトリック・バルビエ著・野村正人訳
                            ・筑摩書房

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コメント: 4
  • #1

    田原敏直 (金曜日, 23 12月 2016 11:18)

    丁寧な解説と動画をありがとうございます。
    ファリネッリについてはとても興味があります。映画も見ましたし、本は手にとって例のエピソードを読みましたが、残念ながら買いませんでした。
    自分はアマチュアのフルーティストで
    日々研鑽に励んでおります。
    そして、彼の偉大さとは比ぶべくもありせんが、私も心持ちだけでも彼のようにありたいと思っています。

  • #2

    坂巻惟実 (日曜日, 12 2月 2017 16:30)

    ある意味では、生きていくために音楽家になる「賭け」を親に強制されたような背景が、このカストラートにはあります。しかし、ムジコ(カストラートの尊称)として成功さえすれば大スターの道が待っているし、そうでなくとも教会での教育と聖職者としての地位が待っています。そういった背景から慮ると、人権という言葉さえ特別であった時代の生き残りを賭けた選択と言えないこともありません。だから、成功したカストラートにその選択を悲劇的に考えるものはなかったようです。
     彼らの去勢は第二次性徴の拒否でありましたが、世界的に見ると中国の宦官の去勢とか、生殖を断つという意味で、俗世間との縁を断つという意味合いも含まれていたようです。姦淫を禁ずるカソリック教会で歓迎されるのも頷けるような気がします。
     あなたの演奏がファリネッリのように人々を魅了する日が来ることを心から望んで止みません!

  • #3

    ぴえ (土曜日, 22 1月 2022 13:01)

    面白かったです。
    また何度も改めて読みたいですー。

  • #4

    よもぎ (木曜日, 22 2月 2024 17:42)

    カストラートの背景が聖書を曲解した結果だと思いませんでした。

    人間はなんて愚かなんでしょうか。そしてそこで生み出した人々を消し去ってしまうことや、芸術の名の下に行われた事柄に怖さを感じました。とても興味深く拝見させていただきありがとうございました。

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