Farinelli Il Castrato(邦題:カストラート)'94 伊・仏・ベルギー合作

Farinelli
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 私は高等学校の芸術科目で音楽を選択していました。専門とは言えない授業でしたが、コーリューブンゲンなどを用いた声楽が中心でした。

 

 その授業で使った教科書の音楽史のページに気になるものがありました。音楽史年表の中世の欄にバロック音楽がありまして、その隣に「声楽のために肉体改造した」ということが書いてありました。私は驚きました、中世と言えば、封建社会の真っただ中で、麻酔さえも実用化されてはいなかったはずです。そんな時代に肉体改造を行えるはずはないと思ったのです。担当教師もその文面を読むだけで説明はしませんでした。なんとなく気にはなったのですが、多感な青春期のこと、他に気になることはたくさんありましたので、中世の宗教裁判などの暗いイメージとともに隅っこの引き出しにしまってしまいました。

 

 何年か過ぎました後、去勢によって変声期を回避し、ボーイソプラノのままの男性歌手を創るということをしていたということを聞きました。そして、彼らをカストラートと呼んだのだそうです。さらにしばらくしてその映画が公開されたのをテレビで知りました。その映画が今回のお題です


「カストラート(Farinelli il castrato)」


 さっそくネット検索しまして、DVDを探しましたら、幸い最寄りのレンタルビデオ屋さんにありまして、早速に拝聴いたしました。イタリアとフランスとベルギーの合作ということなのですが、なぜ合作なのか全く分からない映画でした。前にも申しましたことがありますが、遠いヨーロッパの文化の上に据えられた映画のようです。一本の映画でありながら、主人公はイタリア人ですが、相手によってはフランス語に変わり、舞台が変わると英語も使われています。バイリンガルなどは当たり前で、トライリンガルです。陸続きの大陸の文化というのはそういうものなのかもしれません。本来の国際感覚というのはこういう中で培われるものなのかもしれませんね。

 

 第一印象ととしては、当然ながら去勢という事実の悲惨さが膨れ上がってしまいます。声変わり前の少年を去勢するということは、少なくとも10代になる前にその手術は行われるわけですし、本人は睾丸の役割さえ知らないはずなのです。どう考えても本人の希望によって行われるとは思えません。最初はものすごい憤りを感じないではいられませんでした。

 

   しかし、現代の感覚だけで中世を覗きみても偏見にしかならないと思い、カストラートについて調べることにしました。意外なほどにネットでの情報は少なく、それで図書館にも足を運びました。すると、意外な実態が浮かび上がってきます。何と彼らカストラートはイタリア・オペラの中軸ともいえる存在だったのです。そんな大スターがどうして、これほど世界的に闇に葬られているのか、という疑問が、まるで去勢の感傷に浸っていた私に逆襲するかのように襲いかかってきました。音楽界にとってみればこの消失は 消えたムー大陸とかアトランティス大陸のような不可解さに満ち溢れていると私には思えたのです。人々はなぜ忘れなければならなかったのでしょうか。何がその抹殺を行ったのでしょうか。それらについては次回予定の記事、コラム「カストラートの栄光と闇」でお伝えしたいと思います。


 さて、ヨーロッパ映画の悪いところは、背景などの周知の事実を省いてしまうところにある、といつも感じるのですが、この映画もその一つです。ある意味ではこういったことを知っておくのが、ヨーロッパの常識なのかもしれませんね。この映画は、ヨーロッパ中世の時代背景を正しく理解していないと、やはり、わからない映画だと思います。そこで、今回はネタバレを敢行します。筋を知らないでこの映画を見たい方はここから先はお読みにならないでください。

 スペイン国王の御抱え歌手として迎えられ、何不自由のない暮らしの中にありながらも、主人公・ファリネッリことカルロ・ブロスキは時折悪夢に苛(さいな)まれていました。それは暴走する白馬に乗っている夢です。兄リカルドの話では、カルロが熱病にかかっているときに、錯乱状態の中で白馬にまたがり、暴走したその馬に落とされて大怪我をし、結果的に一命を救うために去勢をすることになったということでした。しかし、夢の中では落馬までに至らず、暴走する白馬の背中で恐れおののく自らが永遠であるかのように感じられ、彼の精神は、その夢を見るたびにいつも不安定を強いられていました。


 カストラートは男性ホルモンが不自然に不足しているため、不安定なs精神状態に陥りやすいと言われています。彼らのような去勢処置は、性同一性障害の男性が行う処置とほとんど同じです。違いは、成人後に行うか、声変わりの前に行うかだけです。彼らは女性化を促進するために男性ホルモンを取り除く必要があり、カストラートは男性ホルモンによる第二次成長を回避するために去勢をするのです。ホルモンバランスの乱れによる精神的不安定が起こりやすいそうですが、その発症はすべてに起こるものではないそうです。


 スペインにいる彼のもとに、兄のリカルド・ブロスキが訪ねてきます。しかし、ファリネッリは彼を拒否します。なぜこの兄弟は仲たがいをしたのか、というのがこの物語の道程ということになります。


 小児期のカルロの目の前でカストラートの少年が投身自殺をします。彼は「声に殺されるぞ」とさけびながら飛び降りました。そしてカルロは歌のレッスンを逃げ出して、「あの歌手のようになりたくない」と父親に訴えます。父は彼に諭します、「お前たちは、ふたりで、一人なのだ」。


 カストラートになる少年のほとんどが貧しい家庭の出身者でした。意図的に不具者となった彼らを教会は認めませんでしたが、歌手としての彼らは必要とされていました。カトリック教会では女性が教会で声を出すことを禁じていたからです。去勢の必要性をでっち上げて、たとえば、落馬したとか、感染症によってやむを得なかったとかによって、カストラートを作り出しました。もちろん彼らが音楽家として大成するには、それから長い修行を積まなくてはなりません。教会や福祉施設(貧民音楽院と呼ばれた)は、去勢者をムジコ(去勢歌手)とするべく、十分な教育を無償で施してくれました。そして、大スターになれば、その収入の一部を施設に支払うという契約を行います。もちろん、全てが大成するとは限りませんでした。音楽の素質がなかった者もいたでしょうし、去勢の時期を誤り、声を失った者もいたようです。それでも彼らには、田舎の聖歌隊とか楽器演奏者としての未来がまっていました。去勢までして、そんなところに収まるのかという声もあるでしょうが、口減らしだった子供が、きちんとした教育を受け、教会の仕事につけるというのは当時の社会では出世でもあったのです。短絡的な同情だけで測れないものがあったようです。

 

 街頭で、トランペットとの演奏合戦が行われています。歌手が歌った旋律をトランペットが追いかけます。全てをコピーされたら、歌手の負けになります。即興の技術もともに問われる音楽自慢というところでしょうか。判定は聴衆の拍手でおこないます。当時のイタリアの雰囲気が偲ばれます。巷には音楽にあふれかえっていたのでしょう。その聴衆のうしろで、豪華な馬車の中からヘンデルが聴いていました。ヘンデルは彼の歌手としての素質に注目して彼を呼び出し、駆け出しの彼にロンドンでのデビューを持ちかけますが、リカルドの野心はそれを拒否します。

 

 兄リカルドは作曲家で、カルロは才能あるムジコとして二人で音楽界に踏み出していきます。リカルドは弟のために作曲をし、カルロはそれを見事に歌い上げていきます。彼らはすべてに一蓮托生でした。女性を愛するときも共同でした。カルロが相手を酔わせ、リカルドが種を残す。まるで、カルロが失ったものをリカルドが埋め合わせを行っているかのようでした。当然ながらカルロの音楽家としての非凡さは兄を存分なまでに引き立てていました。

 カルロはヘンデルの音楽家としての偉大さを理解していました、後世に残される音楽を創りだしていると・・・・。ヘンデルは再びカルロを招きにやって来ますが、彼との合流は兄リカルドの失墜を招くことがわかって居るカルロは、芸術的発展の可能性と、兄への家族愛の間(はざま)で葛藤し、倒れます。

 

 カルロにしてみれば、子孫を残せない自分にとって、兄は唯一の家族でありました。しかし、兄の音楽家としての限界を感じていたのもまた現実でした。リカルドは、弟の不満は知っていましたが、芸術性よりも、いかにアイドルとしてのファリネッリを引き立てるかということしか考えていませんでした。

 

 自らの恩師ポルボラの人気競争に加担するために、運命は彼をロンドンに招きます、皮肉にもヘンデルとの対決をするために・・・・・。


 劇場オーナーの妹であったアレクサンドラはヘンデルの楽譜を盗み出し、カルロに渡します。

 

 アイドルとしての存在よりも、芸術としての音楽を志向するカルロは、ヘンデルと密会し、彼の曲を唄うことを懇願します。しかし、ヘンデルは激高します。アイドルとしてのカルトラートの存在のために、芸術としての音楽ではなくて、人気取りの音楽を半ば強制されてきた彼は、そのアイドルの当人から芸術性を語られることに怒らずにはいられなかったのでしょう。しかし、カルロの才能に嫉妬さえ覚えていたのも事実だったのです。罵りながら、楽譜を返せと罵声を浴びせるヘンデルに、カルロは楽譜を持ち去ります。


 リカルドは弟の意をくみ、隠れて芸術に取り組んでいました。盗まれた楽譜を探しに来たヘンデルは彼と遭遇します。彼の芸術への取り組みに音楽家としての自分を取り戻したヘンデルは一時彼と打ち解けます。カルロの声がリカルドを音楽家にしたということを彼は語りました。そして、そのために去勢を行ったということも・・・・・・・・。


 現実にはその事実は不明です。カストラートのほとんどは貧しい家庭の出身でしたが、ブロスキ家は貴族の家系でした。生活に困っていたわけではなかったのです。それで、本当に事故による去勢であったのではという意見もありました。全ては藪の中なのですが、カストラート一番の実力者ファリネッリの逸話としては、彼の声が去勢を導いたという解釈は非常にドラマチックではないでしょうか。 


 そして、ヘンデルの曲がカルロによって演奏される日がやって来ます。演奏の最中、兄弟愛が妨げになっていると感じたヘンデルは去勢の真実をカルロに伝えます。残酷な仕打ちでした。裏切りを知ったカルロはもう葛藤する必要はありません。音楽に自らをささげるしかないのです。そんな悲しみと孤独の中で、これを歌います

 

 

私を泣かせてください

「私を泣かせてください(Lascia ch'lo pianga)」by hendel

 

Lascia ch'io pianga mia cruda sorte
過酷な運命に涙し、
e che sospiri la liberta.
自由に憧れることをお許しください。

 

Lascia ch'io pianga mia cruda sorte
過酷な運命に涙し、
e che sospiri la liberta.
自由に憧れることをお許しください。
e che sospiri
憧れることを
e che sospiri la liberta.
自由に憧れることをお許しください。

 

Lascia ch'io pianga mia cruda sorte
過酷な運命に涙し、
e che sospiri la liberta.
自由に憧れることをお許しください。

 

Il duolo infranga queste ritorte
私の苦しみに対する憐れみだけによって、

de'miei martiri sol per pieta.
苦悩がこの鎖を打ち壊してくれますように。
de'miei martiri sol per pieta.
苦悩がこの鎖を打ち壊してくれますように。

 

Lascia ch'io pianga mia cruda sorte
過酷な運命に涙し、
e che sospiri la liberta.
自由に憧れることをお許しください。
e che sospiri
憧れることを
e che sospiri la liberta.
自由に憧れることをお許しください。

 

Lascia ch'io pianga mia cruda sorte
過酷な運命に涙し、
e che sospiri la liberta.
自由に憧れることをお許しください。

 

 

 カストラートは教会から望まれながらも、生殖ができないという理由で結婚を許されませんでした。そして兄の背信を知り、彼にはもう神の前で泣くしかなかったのです。そんな彼の歌を聴いた観客は叫びました、

 

「神は一人、ファリネッリは一人(神のごときファリネッリ)」

 

 やがて、カルロはスペイン国王の招きに応え、人気歌手としての地位を捨てます。それは同時に兄との別離でもありました。

 

 そして、リカルドはオペラを完成させ、スペインの彼に会いに来たのでした。しかし、カルロは兄を許すことはできません。それでも楽譜を見たカルロは、兄が成し遂げたことを理解しました。

 

 日食の闇の中で不安を訴える国王を歌で励ますカルロを見たリカルドは、弟の居場所を認識すると同時に、自らの孤独を悟り、その寂しさ故に手首を切って自害しようとします。幸い彼は一命を取り留めます。カルロは自らも兄リカルドを孤独に追いやったことに気づき、彼を許します。そして、カルロの愛人・アレクサンドラを二人で愛します。しかし、それは不純な行為ではなく、弟の代わりにその子種を残そうとする兄の誠意を表わしたものでした。家族を奪ったリカルドは子供をカルロに与えることによって、弟への謝罪としたのでしょう。そして、リカルドは音楽家をやめて、軍人となるべく戦場に赴くのでした。

 

 日本名は「カストラート」でしたが、この映画はカストラートそのものを象徴するものではありません。なぜなら、ファリネリはカストラートの中でも異色な存在だったからです。大概カストラートは家族を大切にしなかったようです。やはり、彼らは裏切りを許せなかったでしょうね。ファリネッリは兄を許しました。現実でも兄、リカルドはスペインに留まっていたようです。

 

 それではどうしてそこまで家族が大切だったのでしょうか。現代においてはわざわざパイプカットをして子種を断つ人も存在します。そこで当時の人になって考えてみようと試みました。答えは以外にもヘンデルの歌から語りかけてきました。「泣かせてください」という歌に凝縮されているように思えたのです。今日、「泣かせてください」と許しを得て泣く人はいません。しかし、当時はそこまで神という信仰が必要な時代だったのではないでしょうか。17世紀のペストの大流行、平均寿命が30歳代という時代。人が信じられるものは家族ぐらいしかなかったのではないでしょうか。現実の暗黒を照らす唯一の光、それは未来であり、未来たる子孫を育む家族であったのではないでしょうか。

 

 そしてそれにさえも裏切られたら、後は神しかいないではありませんか。否、そんな絶望の孤独の中で信じられるものを神と呼んだのかもしれませんね。


映画の記事としてはここまでにしましょう。

参考資料:DVD『カストラート』日本コロンビア

     『カストラートの歴史』パトリック・バルビエ著、野村正人訳

                            筑摩書房刊

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コメント: 3
  • #1

    池田博美 (火曜日, 10 5月 2016 18:37)

    映画の背景がよくわかりました。
    ありがとうございます。

    「私を泣かせてください」
    この歌は、心にしみます。

  • #2

    坂巻惟実 (日曜日, 12 2月 2017 15:46)

    コメントありがとうございます。
    「泣かせてください」は本当に心にしみますよね。時代がどんなに進化しても、未だに避けては通れない悲しみというものは存在します。そのことを普遍的に訴えられるのは神だけなのかもしれませんね。

  • #3

    みき (金曜日, 01 3月 2019 23:48)

    映画を何度も見てますが、わからない部分が所々ありました。記事を読ませていただいて、分からなかった部分が 理解できました、よい記事をありがとうございます。新たな知識をもってもう一度 映画を見てみます。更に感動が深まると思います。

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