Ⅳ、整形外科病棟/ 闘いの父・第二章「初めての危篤」

 父の隔離されている個室は三階で、整形外科のフロアであった。本来は四階の内科病棟の個室を利用すべきだが、四階の個室は空いていないらしく、この部屋を使っているようだ。

 

 ロビーの長椅子に座っていると、五十代ぐらいの女性が、私に声をかけてきた。

 

 「四時位から、寝てらっしゃいましたね」

 

  車いすに乗った彼女はどこか愉快そうにそう言った。

 

 「え、そうでしたか」

 

 「いびきをかいていらっしゃいましたよ」

 

 彼女は、さらに愉快そうに頬笑んで語る。

 

 「どうもすいません。やはり、うるさかったですか」

 

 「大丈夫ですよ。やっぱりベッドで寝られませんでしたの。私も眠れなくて、夜、起きてますのよ。結構、みんな起きているみたいです」

 

 語り口の上品な彼女は、私が彼女と同じ入院患者だと思ったらしい。

 

 「私は入院では無くて、付き添いなんです」

 

 「あら、そうでしたの。大変ね」

 

 整形外科の患者はどこか明るい。確かに骨折などのけがであれば、命には別状はない。回復を待てば、全快する可能性は高い。彼女は私のいびきを退屈しのぎのエピソードとして受け止めているらしい。

 

 「兄貴、体調はどうなの」

 

 不意に、私は話し相手を兄に変えた。彼女に父の病状を尋ねられるのを避けたかったのだ。ここは整形外科の病棟である。同じフロアに結核の疑いのある患者が隔離されているという事は、患者にとってはあまり気持ちのいいことではないだろう。父の結核の疑いは、検査結果から導き出されたものではなく、カルテからの可能性として出された判断である。痰の病理検査によって、結果が出れば大部屋に移されるであろうことは予想ができた。けれども、父は明らかに医師の指示で隔離されている。私たちもマスクをし、手洗いも行っている。隔離はきちんと維持されている。もし結核が事実として結果しても何の問題もない。だから、他の患者に不要な心配を与える必要はないと思ったのだ。

 

 後から考えると、家族としては過敏ともいえる行動かもしれないとも思った。先の読めない中で、不必要な障害を増やしたくというのは、確かな本音であった。

 やがて、彼女はロビーに居合わせた他の顔見知りらしい患者と話し始めていた。

 

 緊急入院から一夜明け、父はようやく目をつぶった。サチュレーションは100%を維持している。昏睡なのか、睡眠なのか。よい予想と悪い予想が交互に浮かんでくる。病気の進行が優っているのか、父の回復力が優っているのか、様子を見ているだけではわからなかった。ただ、次に父が目を開ける時、回復の兆しであることを、私は祈るばかりであった。

 

 日曜日であるため、ナースセンターも忙しそうな雰囲気はなく、穏やかに時が流れていた。

 

 三時を過ぎて、父の痰の音も少しずつ小さくなってきた。私はロビーで兄が買ってきてくれたサンドイッチを食べながら言った。

 

 「何の根拠もないんだけど、大丈夫のような気がするんだ」

 

 「親父は強いからな」

 

 「兄貴、帰ってもいいよ。仕事休めないだろ。」

 

 「そうか、じゃ、何かあったらまた連絡をくれ」

 

 危篤という知らせにより、来てもらったが、父は最悪の状態ではないように思える。回復に向かっているようにさえ思えたのだ。

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