Ⅱ、危 篤 /闘いの父・第二章「初めての危篤」

 予感というのは当たるものだと思いながら、私は友人宅でひと休みした後、病院に向かうことにした。私自身はそれほど落胆してはいないのだが、気遣ってくれた友人には、やはり引け目を感じる。

 幸い友人宅は私の家よりも病院に近い。しばらくして再び携帯電話が鳴る。今度は病院からであった。


 「A・Wさんの息子さんの携帯ですか」


 「はい、そうですが」


 「私はS病院、当直医のSと言います。救急搬送されたワタルさんの状況ですが、高熱があり、重度の呼吸困難があります。」

 

 電話で、しかも医師が直接病状を説明するというのは初めてだった。少なくとも、父に関するここ一連の状況連絡は、すべて面談日程を決めた上での事であった。私はすぐにこの電話の緊急性を感じ取った。

 

 「危篤といった状態ですか。」

 

 正直に言えば、「危篤」といいながらも、どこかで「まさか」と思っている。あの短冊はまだ揺れている。

 

 「ええそうです。危険な状態です。それで延命処置はどのようにしますか。何かご本人から聞かれていますか。」

 

 「何も聞いてはいません。父の容態はもうそこまで悪いんですか」

 

 「まだですが、そうなる可能性は低くありません」

 

 「解かりました。今すぐそちらに向かいます。」

 

 「どの位でつきますか」

 

 「三十分くらいです」

 

 「その間に緊急の判断が必要になったら場合にはどうしますか」

 

 「そのときは、すぐに電話をください。イヤホンですぐ出られるようにして移動します」

 

 医師の具体的な説明に短冊ははっきりとその揺らめきを停止した。私は飲んでいなかった偶然に感謝した。予感があったのは確かだが、酒場にいけば飲んでしまっていたかもしれない。これが虫の知らせというものなのだろうか。

 

 友人の家を出た私は、携帯電話にイヤホンをセットし、耳に入れた。車をS病院に向けて走らせながら、兄に電話をする。当直医の語るような最悪の事態になるなら、兄も呼んでおきたい。兄は東京近郊に住んでいる。土曜日のこの時間なら、ここまでの移動にはそれほどの時間はかからないはずだ。

 

 「親父が緊急入院したんだ」

 

 「どんな具合だ」

 

 「俺もまだ病院にはついていないんだけど、医師からは延命処置について聞かれたくらいだから、かなりまずいみたいだ。」

 

 「んじゃ、おれも行くよ。お前がそう言うなら、そうなんだろう」

 

 「わかった。気を付けて」

 

 延命処置についての話は、介護がらみの緊急入院の場合には、必ずと言っていいほどの確認事項ではある。が、今回は私の「移動中に事態が発生したらどうするか」という問いさえもあった。兄にどう説明するかを考えながら、先ほどの医師との電話のやりとりを反芻(はんすう)していく。そして、兄に話しながら覚悟をしていく自分がいる。

 

 直接的に父から延命に関する意向は聞いてはいない。が、これまでの流れでおおよその見当はついているつもりだ。PTEGの造設の時も父は前向きだった。外来手術に向かう父は勇敢でさえあった。様々な困難や苦痛を伴いながらも、生き残ることに少しも迷いを感じさせなかった。

「今もそうであるはずだ」

「そうであって欲しい」

というのは私の願望だけかもしれない。しかし、もし、父がそれを望まない素振りを見せたり、意向を伝えようとしてきたりしたのなら、それはきちんと受け止めなくてはならない。私はそれを微塵たりとも見逃してはならないのだ。

 幸い道路は空いていて、予定より早く病院に到着した。

 

 夜間入口の扉のドアノブを回そうとするが、回らない。インターホンを押す。

「はい」

 スピーカーの音が無感情をに響く。

 

「アマノワタルの家族ですが」

 

 私がそう言うと『ガチャ』と鉄の扉が音を立てた。

 

「入れます」

インターホンが言う。私が戸惑っていると、

 

「鍵、開いてます。ノブを回してください」

と返答があった。ドアノブは回ってくれた。

 

 中に入ると細い通路がまっすぐに続いていて、左右にいくつかの入り口がある。扉はあるがすべて開けられている。夜間入口の扉の一番手前の右側には小窓が設けられており、窓の下にはカウンターがあった。その上にはノートが置いてあり、時刻と患者名、人数が書き込まれている。私が書き込もうとすると、空いている小窓奥から、

 

「書かなくていいです。三階のナースセンターに行ってください。」

 

ガードマンが返答する。余りの即答に緊張感が高まっていく。

 

 医師ではない私にとって、これからの父の病状の展開は、全く未知の世界である。老化と死というものを、受け入れるべき運命としてしまうのなら、すべてを医師任せにしてしまえばいい。誰かにすべてを任せてしまえば、簡単なことなのだ。これまではそれしかないと私自身も考えていたし、選択肢が存在し得るとは思ってもいなかった。

 

 しかし、日々前進を遂げている医学は、定められた運命を明らかに遠くへと押しやっている。死なない人間は存在し得ないが、確実に「老衰」と呼べる死因も少ない。免疫力の低下など、身体機能の低下を全般的に「老化」とするならば、「老衰」と言えるのかもしれないが、進歩する医学は、それを補うだけの技術を備えつつあるのだ。

 

 「車椅子や寝たきりの生活が、一年や二年長びくことに、何の意味があるのか」と言うのなら、こんなこだわりは無用だろう。しかし、どんなに不自由でも同じ命である。孫の進学や結婚、または成長した姿など、どんなことでも何か伝えられる事があれば、生きている父に伝えられたら、どんな状態でも喜びを感じる可能性はあるだろう。

 

 そして、もしその生存が家族に何らかの意味をもたらしていると、父自身が感じることができたなら、父は明らかに生きている意義を実感することができるだろう。父が誰かに必要とされていることを感じるのならば、老いゆえに彼の生存の前に立ちはだかる様々な煩わしさは、彼の生存の総てではなくなるのではないだろうか。

 

 またそうすることによって、「生きていくことは、苦しいだけ。早く死にたい」というような厭世感を払拭(ふっしょく)できるのではないだろうか。

 

 停止した過去を切り取っただけの写真に、いくら何かを報告しても、その関係に未来は存在しない。そこにあるのは一方的な感情移入があるだけで、生命として変化する交流は存在し得ない。本人が生きているだけで、周りにいる家族にも、必ず苦労以外の何かがあるはずなのだ。

 

 少なくとも、本人が生きることを望んでいる可能性がある限り、どのような形でも未来というものが存在する限り、家族としてはそれを良い方に向ける努力をしていくべきではないだろうか。

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