Ⅰ、救急搬送/闘いの父・第二章「初めての危篤」

「初めての危篤」
 
 Ⅰ、救急搬送
 その夜、私は友人から酒場に招かれていた。特別な席ではなく、気楽にスナックへ誘われただけである。私自身、晩酌の習慣はないが、嗜みが無いわけではない。振り返ると、三か月程アルコールを口にしていない。『飲め無かった』というのが正しい言い方だろう。私は友人の誘いを快諾した。

 

 私の蜂窩織炎(ほうかしきえん)による激痛に始まり、父のいきなりの入院、嚥下障害、治療方針(ⅠⅤH)の承認、そして、PTEG(食道瘻)との遭遇、病院間の奔走、父の移送と外来手術。どれをとっても初めての経験であった。家族の闘病に付き添うのは、三十年程前の兄の『劇症肝炎』、十五年前の母の『心筋梗塞』と、初めてのことではない。兄は回復を果たしたが、母は二度目の発症で他界した。医師の説明を聴くことに慣れることはあるかもしれないが、看病に慣れることはないような気がする。自ら医師を訪ねていくというやり方は、それまでの私にとっては、明らかにテレビドラマの中の出来事で、私の選択肢とは思ってもいなかったことである。経管栄養の選択によって、最低の結果は免れたと私自身は思ってはいた。


 長期間の静脈栄養法(点滴栄養)により、使わない消化器管の機能は退化する。栄養分を吸収する小腸の絨毛は、細菌や毒物などが体内に入らないようにフィルターの役割をしている。しかし、長い間、その機能を使わないでいると絨毛は退化し、その選別機能を失う。そして、無防備な肉体は入り込んだ有害物によって敗血症を発症する。免疫力の弱っている老人が、敗血症を乗り切る可能性はかなり低い。父がこのリスクを回避するための選択肢が、PTEG(食道瘻・しょくどうろう)であった。


 右往左往の大騒ぎをして、リスクの一つを遠ざけただけということなのだ。冷静に状況を見るのならば、父の楽しみである食事の再開は未だに為されていないし、そこまでの父の回復がもたらされるかどうかでさえわからない。これから先、父に起きることは全く予想できないのだ。先はまだ長い、否、長くあって欲しいというのが本音だろうか。

 

 しかし、死なない人間はいない。刻まれていく時は確実に終焉に向かっている。『誕生』から『死』までの間を揺らいでいるのが『生命』というものなのかもしれない。生まれて初めて私は、『死』を避けられない事実として直視しているのかもしれない。今までは興味本位で悪戯な考察をすることはあったが、答えを追求することは有り得ないし、また、その必要さえなかった。


 母の最期には明らかに不意打ちをくったという印象が強く、あたふたしているうちに事は終わっていた。母は七十前でまだ若かった。母の時の経験が、何らかの答えを出すことを強制しているような気がする。いや正確には、母の時の経験により導きだせなかった答えを、導き出さなければならないということだろうか。儀式のようにやり過ごすことは可能ではあるだろうが、そうしたくはないと思いが、まるで憑りついたように私を動かしている。追われているような感覚に落ちいってはならない。守りに回れば母の時と一緒になる。今一度、リセットして、新鮮な気持ちで父のこれからに望みたいという気持ちも正直なものであった。

 

 10月13日、午後8時、私は友人宅に車で向かっていた。飲んだ後は友人宅に泊めてもらう予定になっている。しかし、私は車を走らせながら、何故か、今日はウーロン茶にしようと思っていた。理由はわからない。胸騒ぎというほどでもないのだが、『呼ばれた時に、父のベッドに行けるようにしていなくてはならない』と唯、それだけが、私の脳裏に思い浮かんだのだ。願掛けと言う程、信心深いわけではない。が、こういった隙間に運命というものは、しゃしゃり出てくるような気がしたのだ。私は友人の部屋で慌ただしかった一日をリセットするべくたばこを吸っていた。すると私の携帯電話が鳴りだした。


「Aさんが、38℃の高熱で、咳がひどく、痰がたくさん出ています。肺炎だと思いますので、S病院に救急搬送します。」


 電話の相手は父のホームのセンター長だった。PTEG造設後、父が退院してから、それほどの日数は経てはいないが、父は何度か病院に戻っている。そのほとんどが大事を取っての入院で、私が行こうとすると、すぐに退院してしまっていた。私は今度も同様の事態だと思っていた。


 「解かりました。よろしくお願いします。」


 電話は真にしゃしゃり出てきたそれだった。そう答えながらも、父の軽症を予感している自分がいる。現実への覚悟と未来への理想が、まるで気まぐれな風に踊り続ける短冊のように、私の中で揺れ動いていた。

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コメント: 1
  • #1

    じぇり (金曜日, 23 4月 2021 17:09)

    うーん…序盤から厳しい事態の予感がしてならないですね。とことん読み切って、そして私のその生活と照らし合わせたい…そんな想いがあってなりません。

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