名探偵モンク(Monk '02~'09)

 このドラマの主人公、エイドリアン・モンク(Adrian Monk)は、強迫性障害を患う私立探偵です。彼はサンフランシスコ市警の刑事でした。ジャーナリストであった妻・トゥルーディ(Trudy)の自動車爆弾による暗殺とその事件の迷宮入りのショックにより、障害を悪化させ、辞職に至ります。そして、治療の傍(かたわ)ら、警察や知人から依頼された難事件を、探偵コンサルタントとして解決していきます。

強迫神経症とは?
 強迫性障害とは、不快な思考が何度も浮かんでくるために、その不安を振り払う目的から何度もその行動を繰り返してしまうという症状を主とした病気です。気になって何度も手を洗ってしまうとか、何度も戸締りを確認しないと気が済まないといったことは、誰でも重要なことに関連していて慎重になっているときであれば、ありうることです。しかし、それが極度に習慣化して、生活に支障をきたすまでになったという状態にまで至っているのがこの病気です。自らが「こだわりすぎ」と判断できているのに、こだわらないでいられないのが、強迫性たる所以(ゆえん)です。
 こういったことを言うと誰もが、自らの日常に不安を感じられるのではないかと思いますので、「几帳面」とか、「凝り性」とこの病気との境界線についても触れておきたいと思います。
 誰でも、真面目(まじめ)にそして慎重に仕事や物事を執り行うことは、自分の能力を最大限に活用するためには不可欠なことです。ですから、このこだわりそのものが病気というわけではありません。そのこだわりのバランスが尺度になります。こだわりが、本来の目的や人間関係に支障をきたすほどに強くなった場合、つまり、そのこだわりが、本人や周囲の人に明らかに害をなすような場合には注意しなくてはなりません。作品の制作や原稿の執筆など、何らかの課題があったとします。その完成度をあげるために、読み直したり、書き直したりすることは当然の行為なのですが、それにこだわりすぎて、締切日が来ても提出できないで、引きこもってしまうという状態は病といえます。本来の目的は提出することが目的ですから、ある程度の完成にいたっているのなら提出してもいいはずなのですが、こだわりが提出を阻害しているのなら、それは明らかに困った状態です。本来の目的よりも、その手段の段階でのこだわりが優先されてしまう、そのような本末転倒の状態を障害というのでしょう。

 アメリカではカウンセラーの利用率が非常に高く、風邪などと同じようにこころの病気が、社会一般に治療できるものとして認知されているため、このドラマへの注目が円滑になされたということができるでしょう。日本ではいまだに不治の病としての印象を持つ人が少なくないため、それほどの焦点が当たらなかったということなのでしょうか。でも、このドラマがアメリカ国内で、このような障害の認知を促進したことも事実ではなかったのかと思います。
 
名探偵モンクの活躍
 そのような障害を抱えるモンクですが、ひとたび難事件に遭遇すると、その非凡さをあらわにします。だれもが常識という感覚の中で見落としてしまうささいな事柄を、彼は見落とすことなく発見し、そして、その事実の組み合わせによって、難事件の真相にたどり着いていきます。印象的には「刑事コロンボ」に似た感覚をおぼえますが、コロンボの在り様は、ある意味、容疑者の油断を促すことを意図するものだったと思います。モンクの場合は、意図して行動するというよりは、症状として存在する神経的こだわりを、真相解明に利用しているという感じがします。もちろん彼一人でそれができているのなら、障害ということにはなりませんし、警官を辞職する必要はなかったわけで、それをコントロールできないのが彼の病気なのです。そんな彼の推理を完成させるために、看護師として彼の治療をサポートするシャローナ・フレミング(Sharona Fleming)や元同僚のリーランド・シュトットルメーヤー警部(Leland Stottlemeyer)らが、彼の病気を理解しながら手助けをしていきます。

 注目すべきは、障害を持つ人間が、難事件解決の主軸として、機能しているという点です。彼の病気は不治の病というわけではありませんが、現状では明らかに一人では社会参加できない状態にあります。しかし、そんな彼が、理解者の協力によって、立派に社会参加を達成しているということなのです。難事件の前で、彼のこだわりは明らかに必要とされています。仮に彼の病気が完治できなかったとしても、彼の障害は明らかに彼の個性として、社会貢献の可能性を持っているということなのです。
 

 

 人間は地球上の生命体ピラミッドの頂点にいるといえるでしょう。しかし、一個の動物としてそこに君臨しているわけではなく、社会的協力のシステムを実行しているからに他なりません。一人の人間を肉食獣の群れの中に置き去りにするならば、彼はすぐさま餌に成り果てます。しかし、社会的協力のシステムを対峙するならば、たとえどんな猛獣が群れなして突撃しようとも、人類滅亡の可能性はありえません。つまり、人間はすでに協力し合うことをその類的特徴として確立しているといえるのです。そう考えるならば、モンクが理解者の助力を得て、社会貢献する在り様は、むしろ健全な人間社会を明示するものといえるのではないでしょうか。
 
 

 

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コメント: 2
  • #1

    安芸次郎 (日曜日, 23 9月 2012 19:41)

    やはり見方が一風変わってて、楽しくブログ見させていただきました。

    数話見ただけでここまで分析して書けるのは凄いと感じました。

    私もいくつかの障害がありますが、活かせる職があったらいいなあとか考えてしまいます。

  • #2

    tadasane-sakamaki (月曜日, 24 9月 2012 06:42)

    安芸次郎さま いつもコメントありがとうございます。
    このドラマは、存在そのものを知らなかったので、
    とてもいい勉強になりました。
    8年も続いた人気ドラマなのに、
    日本では売れていないのがやや不思議です。
    アメリカのドラマは売れると
    7~8年は平気でやってしまうのがすごいですね。
    そういう意味では
    日本のドラマはまだ発展する余白があるのかもしれませんね。

    障害を御持ちとのことですが
    モンクのように
    社会参加するチャンスが訪れることを
    心から、御望みいたします。

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