坂道のアポロン

 昭和を彩る音楽にジャズがあります。この音楽は、生み出された苦悩を束ねるかのように奏でているようでもあります。この「坂道のアポロン」は、戦後の復興がようやく軌道にのり始めた'60年代後半を舞台にし、自らの存在に虚無感を感じる二人の少年が、ジャズを媒介として通じ合っていくという物語です。

 

 一人は進駐軍と日本人女性の間に生まれたハーフ、母が行方不明のために叔父夫婦に育てられました。もう一人は裕福な家庭に育ち、将来を期待(強制)されながらも、希薄な人間関係の中で疎外感にさいなまれています。二人とも自分の居場所に疎外感を感じ、場所をもとめながらも、見つけられずにいます。ジャズドラムをたたき、けんかに明け暮れる千太郎。疎外感を感じるとと嘔吐してしまう薫。

 

 社会的復興という「希望」の満ち溢れる時代で、戦後の歪として否定され、または、社会的な勢いに踏みつぶされ、二人はある意味で、復興の少数派として位置されているといえるのかもしれません。

 

 そんな彼らは、ほかの生徒とは違う何かをお互いに感じとり接近していきます。なかなか理解し合うまでには至らないのですが、二人の関係を確実に結びつけたのが、ジャズでした。お互いに抱きあう偏見や誤解も、二人はすべてこの音楽の演奏によって解決してしまいます。しかしながら、自ら抱える疎外感をすべて払拭できるわけではありません。 二人の位置は両極端といえるのでしょうが、その関係はまるでセッションのように演奏の中で、理解しあっていきます。

 

 イギリスから独立したアメリカ合衆国が、農業国としての確立していくために、不可欠であったのが黒人奴隷の存在でした。彼らの存在は、輝かしきアメリカ合衆国隆盛の影といえるかもしれません。ある意味では、社会矛盾のすべてを、彼ら黒人が引き受けているようでもありましょう。そんな奴隷たちがまるで慈しむかのように練り上げていった音楽がジャズです。そこにあるのは単なる嘆きのみではなく、未来を探る兆しでもあったのではないでしょうか。

 

 この物語の舞台は日本です。黒人奴隷はいません。されど時は'60年代半ば、昨日までの進駐軍の存在、まだ癒えぬ戦争の傷跡、やっと訪れた政治的自主独立。誰もが希望を映すものが必要だったのは確かでしょう。そこで、ジャズが流行したのも理解できるところです。

 

ps.この物語はコミックが原作です。残念ながら、本ではジャズが流れてくれません。したがって、コミックではジャズを知ってい人でなければ、作者の意図は伝わりにくいでしょう。ジャズというものを除外してしますとただの青春群像に見えてしまうかもしれません。この作品はアニメ化が必然であったものといえるでしょう。

 また、「のだめカンタービレ」に類する音楽作品としての目論みもあるようですが、それが、精神的豊かさのうねりにつながっていったなら、素晴らしいことではないかと思います。

 

 

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コメント: 2
  • #1

    み~な (土曜日, 23 2月 2013 02:48)

    坂道のアポロン面白かったですよね。私的に残念なのは原作の最終巻でのボンと淳兄さんが東京のジャズバーでセッションするシーンがカットされていたことです。アニメの最終回は駆け足で終わってしまったような気がして、そこが唯一の不満でした・・・

  • #2

    tadasane-sakamaki (日曜日, 24 2月 2013 18:24)

    コメントありがとうございます。
    原作ですでに急いでいる感じの強い作品でしたね。
    ゆっくりと引っ張れば、いくらでも長くできるものだったと思います。
    りつこの「My Favorite Things」も
    ぜひ舞台での演奏をみたかったものです。
    しかしながら、そんな運命的な在りようが
    ジャズなのかもしれませんね。

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