MONSTER

   少年ヨハンが起こす連続殺人事件をめぐる物語です。彼は後天的に洗脳教育を受け、ソシオパス(Sociopath:社会病質)として殺人に抵抗感がなく、また、人を洗脳・煽動することに長けています。自らの養父母を殺害した時に、双子の妹ニナによって頭部を射撃されますが、天才的脳外科医テンマによって生還し、彼の殺戮性は再び紛れ込んだ社会の中で成長していきます。そして、それを止めようとするテンマと、ニナが彼を追っていきます。ドイツを舞台に、様々な人間模様を織り交ぜながら、物語は進行していきます。謎解きのサスペンスというよりはハードボイルドと言った方が的を射ているように思います。

 複数の焦点が重なり合っているので、全体像がとらえにくいのですが、からみあう焦点を切り離してみると解かりやすいかと思います。一つはその殺戮性故にヨハンを抹殺しようとするテンマとニナを中心とするもの。次に、単なる殺人として、事件を客観的に追求しようとするルンゲ警部。そして、ヨハンと彼の殺戮性を支える個人たち。最後に、ヨハンというソシオパスを作り出した組織とその方法。というように四つの焦点に分けられると思います。

 

 第一の焦点はテンマとニナです。彼らはヨハンの殺戮性を認識し、それを食い止めるために彼の殺害を決意します。テンマはせっかく死にかけたヨハンを生還させてしまったことが、次の殺戮を招いてしまったと考え、自らの技術が結果的に殺戮を招いたことに責任を感じています。医療の世界では「患者を診るな、病気を見ろ」というのが仁術として語られてきたことなので、テンマには一遍のまちがいも存在しません。現実に死刑囚であっても病気であれば治療は行われます。「せっかく悪い奴が死にかけたのに、余計なおせっかいをした」という思いから、彼はヨハンの殺害を決意をします。そして、ニナは、「本来、人を生かすはずのテンマを殺人者にしてはならない」、「どうせやるなら私が」と再度の殺害をすべく行動していきます。彼女自身、記憶障害があり、物語の進行はこれを紐解いていく過程でもあります。客観的にみると矛盾だらけなのですが、我々読者は感情的には、無理なく共感していけます。

 

 第二の焦点、ルンゲ警部ですが、これは極めて客観的視点から事実を判断しようとしている焦点といえるでしょう。彼の捜査方針は「客観的事実を多く集め、その中で犯人の主観を探り判断する」つまり、犯人になりきって事件を再現してみるという方法です。最も安定したやり方なのですが、感情が入らないので冷たい印象になり、ルンゲ警部はいつも孤独です。感情的なものが支配的なこの物語で、唯一の理性といえるかもしれません。

 

 第三の焦点、ヨハンとその協力者についてです。協力者の人数は少なくないのですが、彼らには組織性が全くありません。彼らの総ては、ヨハンが生い立ちとか性癖とかを調べ上げ、衝動的に彼の手先として動くように仕向けられた者たちです。例えば幼少期に母親からDVをうけ精神的傷害をもっている者に、ヨハンが復讐心をあおるための手紙を送り続けます。そして、殺害対象者が母親であるかのような錯覚を起こす演出をおこない、殺人を実行させるというようなやりかたです。非常に巧妙で、過ぎるほどに繊細であるために彼一人の画策ではなく、非常に組織的な集団の存在が不可欠であると感じるのですが、それらはベールに包まれています。最も自分の存在を知る人間を抹殺することが、殺戮を続ける必要条件と考える彼は、どんな人でも簡単に殺します。現代社会の諸悪の根源ともいえるかもしれません。

 

 第四の焦点、ヨハンをこのようなモンスターに作り上げたのはどこで、どのように行われたのかという点です。物語が終盤に近付くにつれて、この焦点に他の焦点が接近していくのが、この作品の醍醐味なのでしょう。

 

 一卵性双生児の妹ニナが普通の人間に育っているのだから、ヨハンがこのようなモンスターになったのは意図的な教育が行われたと判断できます。つまり、彼のモンスター性は遺伝的なものではなく、明らかに成長過程の植え付けによるものであるということです。さらに、ヨハンは10歳にも満たないうちにその特性を顕在化しています。その教育がこのソシオパス(ヨハン)を創出したものであるとするのならば、普通に成長しうる誰しもが、その教育によってモンスターになりうるということです。これは殺人事件の衝撃よりも恐ろしい事柄ではないでしょうか。殺人に感情をもたない人間は犯罪史上で実在していると思いますが、それが生来の特質(サイコパス)なのか、生い立ちによるものなのかは正確な答えを出すことはできないのが現実でしょう。しかし、ヨハンとニナは一卵性双生児で遺伝的特性は全く同じです。ニナが普通の正義の法律家を希望しているのに、ヨハンがソシオパスになったということは信じがたいことなのですが、それが前半から謎解きの一つに掲げられているので、期待したくなるのは当然でしょう。

 

 それではその教育とは何なのかということが最大のテーマになっていくべきなのですが、残念ながら、そこに納得のいく回答は出されることなくこの物語は終わっています。漠然と希望の喪失、あるいは絶望感の徹底的享受が生命に対する虚無感として定着し、モラルの空洞化につながるということなのでしょうか。それにしてもその教育期間が非常に短いので、そこに無理があるように感じます。せっかく大上段に振りかぶったのに、振り下ろさないでやめたような感じがしました。いっそのことヨハン暗殺の後、ニナが後釜に座るというようなどんでん返しでもあれば、遺伝的特質説も浮上して、モンスターの登場は「時の運」におさまり、「ソシオパス創出の必然的環境」という恐怖は当然消失するので、それはそれで辻褄があうことになるでしょう。物語の構図として明らかなのはヨハンが「絶望」として、テンマが「希望」として象徴されています。 

 

 しかしながら、各エピソードの繊細さはみごとなハードボイルドを表現しています。一だけ見せて、十の理解を引き出しています。明快な人間模様がホッとさせてくれます。サスペンスとしては答えに説得性が無いので不満ですが、運命の刹那が現実感を引きだし、ハードボイルドとしては一級だと思います。 

 

 終盤近くで、ルンゲ警部がグリマーに言うセリフが好きです。

  

(ルンゲ) 「ひと仕事終わったら、一杯おごらせてくれ」

(グリマー)「ああ、うまい、ビールをね」

 

 ひと仕事などと言うような簡単なことではありませんし、再会する可能性も低いのですが、それを理解する中での減らず口のような、平和な会話がいかにもハードボイルドです。グリマーは必要とされる自分を実感し、ルンゲ警部は困難な事態に感情で立ち向おうとする彼に共感しています。この一言のなかにものすごい人間の感情のうねりが込められているように感じます。

 感情を剥奪され、ヨハンとの対決の中で感情を奪還していくグリマーと、それを見ながら自らの主観、人間性を認めていくルンゲ警部。

 人間の「変化」というものが必ずしも「偏執」ではなく、「進歩」につながる可能性の少なくないことを感じさせてくれているようです。そんな彼らがとても粋でかっこいいではありませんか。

 

 最後にこの作品をすでにご覧になったあなた、病院を飛び出したヨハンは生存する実の母に何しに行ったと思いますか。和解でしょうか。自分の名前でしょうか。再び殺害でしょうか。なるほど、そうですか。そのお答えはそのまま読んだあなたの性癖の回答だと思いますよ。でも、みなさんはくれぐれもモンスターにはならないでくださいね。

 

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