ジョゼと虎と魚たち

 某動画サイトで偶然に見たのですが、「障害者」と「健常者」の恋愛が、果たしてエロスを軸とすることが可能なのか、という非常に難しいテーマに取り組んだ作品だと思います。映画と小説では結末が異なります。というよりは、映画の方が小説の終わりより、先までいっていると言った方が正しいのかも知れません。また、小説の主人公が障害者であるのに対し、映画の主人公は健常者の大学生です。

  文字通り否定的呼称を与えられている「障害者」。おこがましささえ感じる「健常者」という言い方。どちらも枠の中にくくられる人々を、社会的マイナス因子として認識しているゆえのことに間違いはありません。テレビや映画で差別用語として使用されない言葉がたくさんあるようですが、客観的に考えるとあきらかにこれは差別用語と言えるでしょう。現代社会が、まるで人を能力によってしか認識していない側面が見えるようです。

 

 彼女は足が動きません。同居する老婆に「こわれもん」といわれ、虐待こそありませんが、隠遁生活を余儀なくされます。老婆がごみの中から拾ってきた雑誌や教科書などから、むさぼるように情報を得ていて、隠遁生活といえども彼女は外の世界を知らないわけではありません。だから、自らを「こわれもん」と呼ぶのは老婆ではなく、社会そのものであることを理解しています。

 彼は全く普通の大学生です。容姿端麗で、性格もよく、コンプレックスもなく、恋愛についても経験豊富で、文字通り、文句なしの「健常者」です。

 そんな二人がたとい偶然であっても出会ってしまって、「一緒に居たい」と思い始めれば、これはもう立派な恋愛です。彼らは欲望まできちんと共有します。ここまでは映画も小説もほとんど変わりません。ただ視点の違いからでしょうか。主題としては同じだといえるのですが、結末は異なります。映画の結末には涙があり、小説の結末には思い出があります。

 両方ご覧になりたいのであれば、是非、映画の方からご覧ください。「表」と「裏」があるならば、表から見る方が解かりやすいかと思いますので・・・。

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